庚申講(庚申待ち)とは、人間の体内にいるという三尸虫という虫が寝ている間
に天帝にその人間の悪事を報告しに行くのを防ぐため、庚申の日に夜通し眠ら
ないで天帝や猿田彦や青面金剛を祀って宴会などをする風習である。
庚申等の石形や彫られる神像、文字などはさまざまであるが、申は干支で猿に
例えられるから、「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿を彫り、村の名前や
庚申講員の氏名を記したものが多い。 同様の理由で庚申の祭神が神道では猿
田彦神とされ、猿田彦神が彫られることもある。また、猿田彦神は道祖神とも
信仰されるため、庚申信仰が道祖神信仰とも結びつくこととなった。
さらに仏教では、庚申の本尊は青面金剛とされるため、青面金剛が彫られるこ
ともある。
庚申塔には街道沿いに置かれ、塔に道標を彫り付けられたものも多い。これは
道祖神など他の路傍の石にはあまりみられない機能で あり、庚申塔の特色とさ
れている。
庚申塔は全国的な分布が確認されているが、地域によって建立数に差が見られ
る。特に旧相模国を中心とした地域では数多くの 庚申塔が建立された。なお相
模国には日本ではじめて三猿が彫られた庚申塔(茅ヶ崎市輪光寺、市重要文化
財)や青面金剛が彫られた日本最古の庚申塔などが残っている。
歴史
庚申塔の建立が広く行われるようになるのは、江戸時代初期(寛永期以降)頃
からである。以降、近世を通して多数の庚申塔が建てられた。当初は三猿像や
青面金剛像を彫り付けたものが大多数であったが、しだいに「庚申塔」と文字
のみ彫り付ける形式が増加する。
明治時代になると、政府は庚申信仰を迷信と位置付けて街道筋に置かれたもの
を中心にその撤去を勧めた。
さらに高度経済成長期以降に行われた街道の拡張整備工事によって残存した
庚申塔のほとんどが撤去や移転されることになった。
現在、残存する庚申塔の多くは寺社の境内や私有地に移転されたものや、もと
もと交通量の少ない街道脇に置かれていたため開発による破壊を免れたもので
ある。
日本の神 | |||
我孫子市都部新田水神宮境内にある庚申塔 鰻魚及一切水族霊他 | |||
神明鳥居 | 鰻魚及一切水族霊 | 石仏 | 頭首観覚光音 |
庚申塔 | 青面金剛尊/庚申塔 | 庚申塔 | 十三夜塔 |
天満大自在天神 | 不明 | 不明 |